「卵巣がんの疑い」で10月初めに手術を受けた、ライター歴40年を超えるベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)。手術後の検査の結果、卵巣がんではなく「境界悪性腫瘍」という診断だった。そんなオバ記者が、病気に悩まされている間、連絡を取り合っていた“がん闘病”中の親友がいた。
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美少女で成績優秀だった友達F子
ここのところずっと、私に降りかかった闘病のことを書いてきたけれど、実はその日々を共に歩いた友達がいたんだよね。
小学校の同級生、F子は子供のころから人目を引くほどの美少女で成績優秀。一方、私は近所の大人から、「南伸介とそっくりだな。『ビックリしたなもう』ってやってみろ。ひゃはは。おもしれ~!!」と笑われているような女児。残念なのは器量だけじゃない。早生まれの宿命か、読み書き計算、運動、みんな最下位だったの。
36歳で離婚して子供たちと柴犬を連れて上京してきたF子と、その頃の話をするのは決まって居酒屋だ。F子は「あはは。そんなことがあったんだ。私はずっと無自覚人間だったから、なんも覚えてないんだよね」と笑って、「じゃあ、レモンハイ、もう一杯頼んで半分こしない?」なんてやっていたの。
お互いの子供時代をよく知っているから気が楽だし、何よりF子と私は趣味が一致したのよ。それは美術館、博物館、植物園めぐりと旅。
悪天候の週末、家でグダグダ寝ていると「ねぇ。今日は最高だと思うけど行かない?」とF子からLINEが入る。こんな日に何が最高かというと人気の美術展よ。絵画鑑賞をするのはたいがい中高年だから、天気が悪いと出足が鈍る。私らも中高年だけど頑張って行けば、いつもなら人の頭越しにしか見られない絵画もゆっくり、おしゃべりしながら好き放題見られるというわけ。
「あはは。でもあれは面白かったね」と、後から何回も話したのは雪の日の『三井家のおひなさま』よ。大雪でいつ電車が止まってもおかしくないという日に、「止まったら止まった時だから行く」とF子が決断したの。案の定、会場はガラガラ、てか、私たちのほかは学芸員だけって普段ならあり得ない。こうなると私もいつもの“気象病”が吹っ飛ぶんだから、まったく“病”ってアテにならないわ。
ダラダラ話のあとに「私、死ぬかもよ」
さすがにここ数年はそんな酔狂もしなくなっていたけれど、飲みでも旅でも誘うと必ず同行してくれる。それを当たり前だと思っていたのよ。
お盆明けの8月17日。「時間ができたら電話くださ~い」とのん気なLINEがF子から入ったの。母親の初盆で茨城から帰ったばかりの私は、「どしたの~?」と電話で折り返したら、「私さぁ、夜中にものすごくミゾオチが痛くなってぇ。一時は救急車、呼ぼうかってことになったんだけど、しばらくしたら落ち着いたんでぇ、そのまま寝ちゃってぇ。次の日もなんともないから仕事に行ってぇ」と、間延びしたようなF子の話がダラダラ話が続いたと思ったら、突然。
「私、死ぬかもよ」
「そりゃ、誰だって死ぬわよ。問題はどうやって死ぬか、でしょうよ」
カッとした私はとっさに思いっきり大所から見た言い方で返したの。そうなんだよね。F子は最上の善人だけどトンチンカンというか、突然、わけがわからないことを言い出してイラつかせるんだわ。
この時もそう。F子は、「そりゃそうなんだけどさぁ」と言いながら、ちょっとチャラけた口ぶりをやめて、淡々と状況を説明しだしたの。
「ミゾオチが痛くなっても朝はなんともなくなっていたから仕事に行って、その帰りに病院に行ったら、すぐに近所の総合病院に行けといわれ、検査を受けたらすい臓がんだって」
「すい臓がんって…。何それ」
総合病院では応急処置をして、聞けば5日後の8月22日から検査入院するという話だった。区の検診から婦人科病院、MRI検査する病院を経由した私が、大学病院でMRI検査の結果を聞くのも同じ8月22日だった。