
おニャン子メンバーに“家庭の味”を
17才でアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして芸能界デビューすることになったときも、ひで子さんは支えてくれた。
新田は1985年2月、深夜のバラエティー番組『オールナイトフジ』の特別番組『オールナイトフジ女子高生スペシャル』に出演したのをきっかけに、4月から始まるバラエティー番組『夕やけにゃんにゃん』(いずれもフジテレビ系)のアシスタント「おニャン子クラブ」のメンバーに抜擢された。そして7月、『セーラー服を脱がさないで』でデビューすると、大人気アイドルとして全国にその名を轟かせることになる。
「数か月前まで普通の女子高校生だったのに、急にファンのかたや興味本位の人が家の周りに集まるようになりました。近所からはクレームが来るようになり、そういったトラブルの矢面に立ったのも母でした。このとき父は73才で持病もありましたから、母が体を張って私を守ってくれたのです。ときには、私を追いかけるファンを止め、けがをしたこともありました」
新田がデビューした高校3年生のクリスマス・イブに、父親が肝硬変で急逝する。家庭内は大変だっただろうが、ひで子さんはそんなそぶりも見せなかったという。
「高校卒業後、私は母と兄と一緒に都内に引っ越すことになりました。その家には、仲のよい“おニャン子”のメンバーが泊まりに来るようになりました。私が仕事でいないときでも、母とメンバーだけで過ごし、秋ならさんま、春なら山菜の煮物といった家庭料理を食卓に出して一緒に食べていたそうです。忙しさのあまり家庭の味に飢えていたメンバーにはそれがうれしかったようで、“焼き立てのさんまなんて久しぶり”と喜んでくれました。
学生時代からの先輩や友人も、会えば必ず“お母さんは元気?”と聞いてくれるんです。皆、私がいなくても母と仲よくなっているんですよ、すごいでしょ(笑い)」
その後も、新田の海外ロケに同行したり、パート先の友達と旅行に出かけたりとアクティブに過ごしていたひで子さん。しかし、介護は突然始まった――
◆タレント・新田恵利
1968年、埼玉県生まれ。1985年、バラエティー番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)のアシスタントとして、アイドルグループ「おニャン子クラブ」が結成され、その立ち上げメンバーとなる。デビュー曲『セーラー服を脱がさないで』ではフロントメンバーに選ばれるなど人気を誇る。1986年1月1日には、シングル『冬のオペラグラス』でソロデビュー。オリコン初登場1位となり、30万枚以上の売り上げを記録するが、9月に「おニャン子クラブ」を卒業。以後、タレント、女優、エッセイストとして活躍。1997年に結婚。現在は介護の経験をもとに講演などを行っており、2023年には淑徳大学総合福祉学部の客員教授に就任。著書に『悔いなし介護』(主婦の友社)。https://www.eri-nitta.com/
取材・文/上村久留美