
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、4か月間、茨城の実家で93歳「母ちゃん」を介護。その後、施設に入所した母ちゃんでしたが10日ほど前、体調に“異変”があり緊急入院。何があったのでしょうか。オバ記者がそのときの状況についてリポートします。
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「とうとう来るべきときが来た」
「母ちゃんが吐いたんだって。それでご飯が食えねぇで、薬ものめねみて」と、弟から電話が入ったのは10日ほど前のこと。
認知症だけど体に異常がない高齢者の最期はどうなるか、YouTubeで医師が「食事をとれなくなります」と言っていたのを聴いていたばかりだった私は、とうとう来るべきときが来たかと思ったね。93歳の母親は認知症ではないけれど、体の衰えはどうしようもない。昨年8月初めから11月末までの4か月間、実家で介護をした私はその変化が手に取るようにわかるんだわ。

体調がいい日は10年前と何ら変わらないんじゃないかと思うほど元気で、近所の年寄り仲間が来てくれたりすると、「耳が遠い」ってウソ?と思うほどの受け答えをする。でもみんなが帰ったあと、疲れてスッと寝入ってしまったり、ガマンしていたのかトイレで失敗したりしてね。
そんな理由がなくて、顔を見て「ん?」と思うこともあったっけ。なんて言ったらいいのかわからないけど、魂が体から抜けかけているような感じ。
V字回復しながらもゆっくり衰えていった
話しかければそれなりの返事はするけど、いつもよりワンテンポ遅かったり、時にはチグハグな答えが返ってくる。だけどちょっと心配すると、「ヒロコぉ、ヒロコよぉ」と大声で呼びつけて何かと用をいいつけられてホッとする。この繰り返しが数日続いて、このまま体のレベルが落ちていくのかなと思っていると、訪問看護師さんの前で盆踊りの動きを見せたりする。

病院から自宅に帰って、私が介護をするようになって瀕死の状態から家の前を歩けるようになるまでわずか1か月。V字回復したことはしたけれど、同時にやわらかな上半円を描いて衰えていっていたのよね。

お礼の言葉はなく「お世話さま」「ん!」
それがわかっているならやさしくしてやればいいのに。そんな仏心が出たときが危ないんだわ。なにせ、タダのばあさまじゃないんだもの。そのひとつがお礼の言葉よ。退院して数日後のこと。「ところてんが食いてえ」「ちめてえ(冷たい)水くろ(くれ)」と言葉が出るようになったので、シモの世話をし終えたとき「ありがとうは?」と聞いてみたの。そうしたら、「思ったことが口から出ねえんだよ」と言ったので、そんなものかと思ったら、なんと次から「お世話さま」だって。
最初のうちは、「はいはい」と答えていたけど、奥さまが使用人にねぎらいの言葉をかけるような口ぶりが、だんだん勘にさわってきたの。で、私が黙ったから不機嫌になったのがわかったんでしょ。しだいに何のお礼もいわず、自分が汚した床を「ん!」と言って指さすようになったの。

「オレも口が強請だ。コレのごと怒らせちまうんだ」
昔から話がわからない人ではないけれど、いったん“我”を出すとどうにも止まらなくなるクセがあるの。それがもろに出たのは17年前に交通事故で内臓破裂をしたときよ。
栃木県の大きな病院の集中治療室に12日間。当初、「助かるかどうか五分五分」と言われていたのに一般病棟に移って2か月。この時も驚異の回復をしてお正月は自宅で迎えられた。その時、家事をするために帰省した私は4日で3kg体重を落としたの。

食卓の用意をして、さあ、食べようとすると、「酢をかけろ」「塩が足んねぇな」「きゅうりの古漬けがあったっぺ」。自分だったらこうするということを、全部私にやらせようとするの。
なので私は食事をあきらめて、母親の横に立ちひざになって座った。「さあ、なんでも言ってくれ」と言って。そうしたら「いいからご飯食えよ」というくせに、次の瞬間、「マヨネーズもってこ」。
そりゃあ、どうしても必要なものを私のうっかりで用意し忘れたというなら文句はない。でもそれにしてはあまりに指示が細かい。不自由な体がもどかしくて八つ当たりをしているとしか思えないのよ。
ものすごいニラミをすることも
それで私には「ありがとう」と言わない。たとえ言っても口先だけでちっとも感謝の気持ちがこもらないのは今回もそう。
その言い訳を見舞いにきた私の友達に言うの。「オレも口が強請(ごうせい)だ。コレ(私)のごと怒らせちまうんだ」とか、たまたま食事どきに来た人が、私が何品か並べた料理をほめると「コレが作ったんだっべな」と嬉しそう。それが精いっぱいなんだよね。
だけどばあさまのクセはそれだけじゃないの。ものすごいニラミをするのよ。友達に誘われてお茶のみに行ったときのこと。私が化粧を始めると部屋のすみのベッドからずっとニラんでいるんだわ。「化粧なんかしてどこに行くんだ」と言われたら、「お茶飲み」と答えられるけれど、無言でにらむんだからタチが悪い。ニラミにはニラミで対抗したけれど、負けたのは私。婆さん、絶対に目をはずさなかったからね。

母を送る日に着る喪服を選んでいた私
4日前のこと。弟に主治医から電話があった。「膵臓からインシュリンが出てないのか、血糖値が平常の8倍になって、点滴でいったんは下がりましたけど、それにも限界がありまして」。詳しくはわからないけれど、つまりいつどうなってもおかしくない状態なんだそう。
弟と電話で話した直後は、体がふわふわと浮いたようで実感がなかったけれど、こういうときの人の行動って、だいたい正しいね。

私はネット通販で母親を送る日に着る喪服を選び出していたの。今までの間に合わせでははなくちゃんとしたのを。母ちゃんの最期に会えるかどうか。今はそればかりが気がかりだ。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【288】ラジオ出演翌朝、「母ちゃんが吐いた」弟から“異変”を知らせる電話が入った