ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で4か月間、母ちゃんの介護したオバ記者。その母ちゃんが亡くなって1か月半。頭に浮かぶのは母ちゃんの思い出ばかり。そういえば、介護中、母ちゃんを元気づけていたのは「恋」でした――。
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死ぬまでヤンキー気質の抜けなかった母ちゃん
母娘の関係って十人十色なのね。友だちの話を聞くと、「へぇ、そんな親子関係もあるのか」と驚くことがよくあるけれど、私と母ちゃんも「変わっているね」と言われるんだわ。
昨年の8月から12月にかけて、茨城の実家に帰って要介護5の母ちゃんを介護した丸4か月で気づいたことはいろいろあるけれど、特に印象に残ったのは男女の話だ。
その前に母ちゃんの性格を弟の妻で華道家の義妹はズバリ、「元ヤン」と言ったけれどあまりに図星で大笑いよ。てか、93歳で死ぬまでヤンキー気質は抜けなかったから、元ヤンではなくて現ヤンか。
どうヤンキーかというと、まずギラついた服が好き。化粧が好き。80半ばになっても化粧品には「おっ!」というようなお金をかけていた。それでも寄せる年波にはかなわない。目尻、口元のシワのうちはよかったけれど、ほっぺに太細のタータンチェックのシワが深く刻みだした80代後半になると、鏡を覗きながら両手でほっぺをグンと持ち上げキツネ目にして、「このくれーなら許せんだけどな」だって。
息子が教師に殴られると職員室に怒鳴り込んだ
ケンカが好き、というのもヤンキーの大事なスピリットで、老いてからは村の同世代と仲良くしていたけれど、血気盛んな50代、60代は、「ああ言われたから、こう返してやった」と息巻いていたっけ。30代、40代はもっと激しくて、私が学校でケンカをして泣いて帰ってくると慰めてくれるどころか、事情を聞いた揚げ句、「なんでこう言い返さなかったんだ!」と悔しがった。
子供同士ならまだしも、理不尽な理由で教師に怒られたと言うと、母ちゃんの怒りは一段階あがって「先生になんちゃ負けてんじゃね」と気合を入れられ、登校させられた。小学1年生だった年子の弟が、担任の女性教師に殴られてアザを作ったときは問答無用。翌日、職員室に乗り込んで怒鳴りつけたっけ。こんな言葉があるのかどうか知らないけど、まさに武闘派ママよ。
ま、当時の教師の中にはモラハラ、パワハラ、子供にセクハラをする教員もいたんだけどね。