
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る「介護のリアル」。昨年、茨城の実家で母親を介護し、最終的には病院で看取った。そんなオバ記者が今回、9年間に及ぶ姑介護をした女性の告白について綴ります。
* * *
夢に出てきた母ちゃん
2日前のこと。今年3月に他界した母親の夢を初めてみたの。4年前に亡くなった父親と微妙なオシャレをして上京してきて、きっと私が東京でご飯をご馳走するとか言ってたんだね。

ところがどうしても予約していたレストランにたどりつけない。疲れてお腹も空いているふたりは、「何やってんだよ」と代わる代わる私を怒る。ってところで目が覚めた。
いつも思うんだけど目覚めって不思議だよね。遠くから少しずつ現実が近づいてきて、トントンと優しく肩を叩くような感じの日もあれば、心臓の調子がイマイチの日は、ドンドンドンと背中から小太鼓を叩かれているみたい。
でもこの日は体より先に感情が先でね。もう私が「親」と呼べる人はこの世のどこにもいないんだなという強烈な現実が、わあああっと夢から目覚めながら差し迫ってきたの。そして大げさに言えば、私、これからどうやって生きていけばいいんだ?って途方に暮れて、しばらく目を開けられなかったんだわ。
“夫の親”だったら介護できるのか
それはともかく、私の「介護のリアル」を読んで「たかだか4か月くらい母親とマクラを並べてシモの世話をしたからって、何をエラそうに!」と言う人もいるんだよね。ネットのコメント欄の書き込みではなくて、人づてに聞こえるように。「じゃあ、やってみな」と反発したい気持ち半分、「そうだねぇ」と素直にうなずく気持ち半分。

だって10年介護とか18年介護とか、とんでもなくえらい人が世の中にはいるんだもの。しかも実の親でも自宅で看ると「覚悟の上にもうひとつ覚悟をさせられる」と訪問看護師さんは言ったけど、これが“夫の親”だったらどうか。さんざん嫁いびりをされた舅姑のお尻を拭けるのか。
実際、自分の生活圏に絶えず大小便の心配をしなくちゃならない年寄りがいるストレスを知ってしまった私には、とてつもないこと。ユーラシア大陸徒歩縦断の旅くらいすごいことよ。それをしたのがR子さん(埼玉県・74歳)。以前、相続のことで取材をさせていただいた人だ。
「意地と成り行き」で9年間姑介護
姑を9年自宅介護したと聞いて思わず、「なんで!」と叫んだ私。20代の時、わずか4年だったけれど、その時の強烈な嫁姑体験を思い出すととてもじゃないけど無理だもの。するとR子さんの答えも簡単。「意地と成り行き」だって。

R子さんの夫は材木商の後継で3代目。R子さんは工務店の次女で親同士が知り合いだったことでお見合いして嫁いできた。
「私もお見合いで結婚するくらいだから、周りがこうだと言えばそうかと鵜呑みにするタイプ。姑と、社長である舅は掃除の仕方からうるさい人だけど、夫は優しいし、子供は可愛い。息抜きに冬は苗場に親子スキー旅行に連れて行ってくれたりして、大きな不満といえば三日にあけずやって来て、姑と茶の間でヒソヒソ話をする夫の妹のことくらい」
R子さんの夫には、この妹のほか、もうひとり東京で結婚している姉がいるが、こちらは盆暮れに顔を出すだけだ。
リーダーシップを発揮していた姉が逃げ腰に
この姉妹がR子さんに大きく関わってきたのは、姑が脳梗塞で倒れた時。姑の入院中、姉は「私たち、三姉妹で力を合わせていこうね」と言って、当家の長女としてリーダーシップを発揮してくれた。人の後ろをついていきたいR子さんは姉の指示に従っていればいい。

「状況が変わったのは、回復した姑が『どうしても』と言って自宅に帰ってきてから。一度やって来て私がお使いに行っている最中に姑が粗相をしたの。それを姉が仕方なく片付けた。よほどイヤだったんでしょ。実家に帰ってくるときは私がいることをしつこいほど確認して、来てもお土産を置いてさっさと帰っていくの」
あれほどリーダーシップの発揮していた姉とは別人のように逃げ腰になった。
「近所に住む妹も、姑が下半身が不自由になる前と比べたら実家に来るのは半分以下。そして来れば姉に代わって? 私に指し図をするようになったの」
「指し図とは?」と聞くと、「そろそろ夏物のパジャマに変えたほうがいいよとか、母さんはさつまいもの細いのが好きだから、あそこで買って蒸してやるといいよ、とか。ありがたいアドバイスと思えばいいんだろうけど、姑の粗相の片付けの後だったりすると、『口はいらない。手を貸して』と言いたくもなる。もちろんそんなことを言ったら大変なことになるから、我慢しましたが…」

「施設に行くぐらいなら死ぬ」と叫んだ姑
そのR子さんにも我慢の限界がくる。這うようにトイレに立っていた姑の足がとうとう動かなくなった。ということは排泄は全ておむつになった。
「夫はあたり前のこととして、姉妹を呼んで『これ以上R子に世話をさせるわけにはいかない。施設に入れる』と宣言したの。これで私もひと安心と思ったら、『施設に行くぐらいなら死ぬ』と回らない口で姑が絶叫したのよ。母親にこう言われてひとり息子の夫は黙ったんだよね。そうしたら、姉妹が私の前に手をついて、『私たち家の財産は放棄するから母の面倒を見てやって』と言ったのよ」

多勢に無勢。R子さんさえ「はい」といえばいいこと。何より自宅介護は夫の願いだ。黙ってうつむいている横顔を見れば痛いほどわかる。「行政のサービスをめいっぱい使って、なるべくR子さんの負担が軽くなるようにして」と妹は立板に水のよう話し続けた。
それから姑が亡くなるまで丸5年。姉妹の足はますます遠のいた。
「姉が勢いこんでやってきたのは姑が亡くなる10日前よ。『お母さん名義の貯金通帳を出して』というから、その通りにしたら、なんと介護タクシーを呼んで虫の息の姑を乗せて郵便局に連れて行って全額おろさせたの」
「そんなに介護の手間賃が欲しいわけ?」
それから姉と妹が、「私たちが財産放棄するって言ったって? 何のこと? 証拠でもあるの?」と夫に詰め寄り、お通夜は親戚がいる中で姉と夫が言い争いに。どうにか四十九日の法要が終わった翌日にはそれぞれ弁護士を立てて争い、2年後には実家は廃業して3分割された。材木屋は木を置く小屋のほか、作業をする場所もいる。
廃業してそれらと実家をすべて更地にして売却したら、想像していたよりずっと小さなお金になったと姉妹は文句を言って、相続の騒動は終わった。
「その間で私に親の介護をさせたことは話題にならない、夫がそれを言うと『それとこれは話は別でしょ! そんなに介護の手間賃が欲しいわけ?』と、妹は私に投げつけた言葉は一生忘れません」
介護は家族の人柄まで丸裸にするんだわね。で、私自身は母親の介護で何をあからさまにしたのか。なんとなく輪郭が見えているような気もするんだけどどうなんだろう。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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