「施設に行くぐらいなら死ぬ」と叫んだ姑
そのR子さんにも我慢の限界がくる。這うようにトイレに立っていた姑の足がとうとう動かなくなった。ということは排泄は全ておむつになった。
「夫はあたり前のこととして、姉妹を呼んで『これ以上R子に世話をさせるわけにはいかない。施設に入れる』と宣言したの。これで私もひと安心と思ったら、『施設に行くぐらいなら死ぬ』と回らない口で姑が絶叫したのよ。母親にこう言われてひとり息子の夫は黙ったんだよね。そうしたら、姉妹が私の前に手をついて、『私たち家の財産は放棄するから母の面倒を見てやって』と言ったのよ」
多勢に無勢。R子さんさえ「はい」といえばいいこと。何より自宅介護は夫の願いだ。黙ってうつむいている横顔を見れば痛いほどわかる。「行政のサービスをめいっぱい使って、なるべくR子さんの負担が軽くなるようにして」と妹は立板に水のよう話し続けた。
それから姑が亡くなるまで丸5年。姉妹の足はますます遠のいた。
「姉が勢いこんでやってきたのは姑が亡くなる10日前よ。『お母さん名義の貯金通帳を出して』というから、その通りにしたら、なんと介護タクシーを呼んで虫の息の姑を乗せて郵便局に連れて行って全額おろさせたの」
「そんなに介護の手間賃が欲しいわけ?」
それから姉と妹が、「私たちが財産放棄するって言ったって? 何のこと? 証拠でもあるの?」と夫に詰め寄り、お通夜は親戚がいる中で姉と夫が言い争いに。どうにか四十九日の法要が終わった翌日にはそれぞれ弁護士を立てて争い、2年後には実家は廃業して3分割された。材木屋は木を置く小屋のほか、作業をする場所もいる。
廃業してそれらと実家をすべて更地にして売却したら、想像していたよりずっと小さなお金になったと姉妹は文句を言って、相続の騒動は終わった。
「その間で私に親の介護をさせたことは話題にならない、夫がそれを言うと『それとこれは話は別でしょ! そんなに介護の手間賃が欲しいわけ?』と、妹は私に投げつけた言葉は一生忘れません」
介護は家族の人柄まで丸裸にするんだわね。で、私自身は母親の介護で何をあからさまにしたのか。なんとなく輪郭が見えているような気もするんだけどどうなんだろう。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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