認知症が始まった姑を施設に
動物だけじゃない。私の育ての親の祖母が78歳のときに今でいう認知症の症状が出始めたときの母ちゃんの決断も早かった。近所に住む祖母の二人の娘に声をかけて、「老人ホームに入れようと思う」と、一応は相談という形をとったけれど、嫁いでいる二人の小姑に母親を引き取る余裕などないことは百も承知よ。そして家から車で1時間以上離れた山奥の老人ホームに入所したら、半年足らずで祖母は亡くなったの。
母ちゃんと私は、母ちゃんの若き日の恋バナとか、どうでもいいことはいくらでも話したけれど、私は自分の身に起きたことは話さないし、離婚とかどうしても親が関わることは、みんな事後報告よ。母ちゃんだってそう。心の奥にあることを口にしたことは滅多にない。
だから去年の8月初旬、私が帰省して介護を始めてから初めて、母ちゃんが私の祖母、母ちゃんにとっての姑を老人ホームに入れたことをものすごく悔やんでいたことを知ったときは意外だったんだよね。
「ヒロコ、オシマ婆さんの顔、いい顔してるよな」と、鴨居にかかった祖母の写真をベッドから見上げて言ったときは、バアさん、何言い出したんだかと驚いたの。
またあるときは、「ヒロコ、夕べ、夜中にオシマ婆さんの口が動いたんだよ。何か話してえごどがあんだっぺがや」と言うから、とうとう認知症が始まったかと思ってね。
「母ちゃん、なんでそん時、私を起こしてくれなかったんで? 一緒にオシマ婆さんが話しているの、聞きたかったな」と言うと、スッと真顔になって、「何言ってんで。オレは寝ぼげてたんだど」だって。
最後まで引け目もお礼も口にしなかった
母ちゃんを私が調子がいいと今も思うのは、オレは姑の終末期を看なかった、それに比べて自分は自宅で寝起きして厚遇されていると引け目を持っていたのは確か。それで私に負担をかけているのもわかっている。日に日に母ちゃんの排泄のバランスが崩れて、私のシモの世話も過酷になってきていたし。
それでも最後まで引け目は口にしなかったし、私にお礼も言わなかった。「言わなくてもわがってっぺな」。亡くなる2か月前に最後に施設で会った時も、弱々しくなった母ちゃんの目はそう訴えていたんだけどね。
それでも自分はしなかった家族の介護を、自分はして欲しいって、調子よくね? と思っている私は“神格化”なんか絶対にしてやるもんか!
ああ、母ちゃんがそこにいるみたいに感情が動くのは、お彼岸が近いからかしら。くわばら、くわばら。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。