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「認知症になっても母の本質は変わっていなかった」――ジャーナリスト・安藤優子が介護の果てに気づいたこととは‥‥≪独占インタビュー『母を語る』後編≫

「臨床美術」に救われて

みどりさんが描いたアンスリウムの花の絵。
写真3枚

 

施設に入って最初の1年は大変だったと振り返る。

「母は『私をこんなところに押し込めて』と怒って暴力的になり、黙って施設を抜け出したこともありました。大好きな料理はできないし、旅行にも行けない。さらに発語、嚥下、運動など、日常生活に必要なさまざまな機能まで失われていく。『何故こんなこともできないのか』といった自己否定の嵐にもみくちゃにされ、それが母の怒りになったのかもしれません」

そうした母を目の前で見るのは、娘としても耐えがたかった。

「私の知っている愛情深くて明るい母はどこにいったのだろう――母は目の前にいるのに、喪失感を覚え、打ちのめされました」

そんななか、施設の介護スタッフがすすめてくれたのが、「臨床美術」だった。これは、アート作品を作ることで脳の活性と心の解放を促し、認知症予防などに役立てる療法だ。具体的には、みどりさんのこれまでの人生を聞き出し、思い出を掘り起こしてから、絵を描いてもらうというものだった。

「あるとき、臨床美術士のかたが母にアンスリウムの花を題材にしてくださいました。おそらく、母の部屋にあったハワイアンキルトのクッションや、海岸の砂、思い出の写真などから、母がハワイ好きだと察してくださったのでしょう。これをきっかけに、母はハワイの思い出話を始め、最後にアンスリウムの花の絵を描きました。明るい色彩、太くてのびやかな線‥‥とてもよい出来栄えで、本人もそう感じたんでしょう。絞り出すように『よ・く・で・き・た』と語ったと、介護士さんが涙ながらに教えてくれました。母は満足のいく作品を描けたことで、自己否定の嵐からようやく抜け出せたようでした」

その後も、みどりさんは次々と作品を生み出していく。

「私はそうした作品を見て、なくなったと思っていた母の本質は、変わらずここにあったのだと気づかされ、母への思いも変わりました。同時に母の施設での暮らしも穏やかになっていきました」

みどりさんにとって創作は励みになったようで、89才で亡くなる直前まで描いていたという。

「晩年の母は、本当に幸せそうでした。施設の職員の皆さんは、“何もできない認知症の安藤みどり”ではなく、“人間・安藤みどり”を知ろうとしてくれた。母はそれに救われ、最期は安らかに逝きました。施設で『臨床美術』や職員の皆さんに出会っていなければ、私は母の本当の気持ちを知らないままでしたから、本当に感謝しています」