ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る「介護のリアル」。昨年、茨城の実家で母親を介護し、最終的には病院で看取ったオバ記者。今回綴るのは、父親を介護したある女性についてのルポです。「父は私を憎んでいたと思う」そう彼女が語る理由とは――。
* * *
「面会に行くたびに憎しみを込めた目で」
「父親が86歳で亡くなって4年経つけど、私を睨みつけていたあの顔が頭から離れない。面会に行くたび、憎しみを込めた目で見られていたから」
つい先日、久しぶりに合った古いライター仲間のA子さん(64歳)とお互いの介護の話になった。「私がよかれと思ってしたことがみんな裏目に出て、結局、父は娘を憎んでひとり寂しくあの世に旅立ったかと思うと、たまらないのよ」とA子さんは語る。
美容院を営んでいた母親と、大手企業のエンジニアだった父親は仙台市で2人暮らしをしていた。A子さんと妹はそれぞれ実家を出て暮らしていたので家族が揃って顔を合わせるのは年に数回あるかないかだけど、東京で生活していたA子さんは実家の様子が気になって、三日にあげず電話をかけていた。
「最初におかしくなったのは元気だった母親のほう。76歳までは『ヒマだ』とぼやきながら自宅の1階の美容院を開けていたんだけど、あるとき認知症を発症して病院と施設を行ったり来たりするように。父親は毎日のように見舞いに行って、東京にいる私に電話で知らせてきていたの」
父親との同居を申し出た
偏屈で子供には怒鳴り声をあげた父親だけど、社交的な母親のことは大好きで、口を開けば「母さんが」「母さんが」。それだけに4LDKの大きな家でのひとり暮らしは寂しそうだった。
「最初の異変は、実家に顔を出すたびに工具が増えていったこと。電動ノコギリだの釘打ち機だのをネットで買っては箱のままリビングに放り出してあるの。『この前も同じものを買ったでしょ』と言うと、ムキになって前のとどこが違うか言い出して、最後は『俺の年金を俺がどう使おうがお前の指図は受けん!』と怒り出す」
「今にして思えば、認知症が始まっていたのかもね」。A子さんは続ける。
「でも見た目は何も変わらないし、意固地なのは昔からの性格。それでずいぶん考えたんだけどね。18歳で実家を離れた私が親と暮らすのは今がラストチャンスだと思ったわけ。私を娘だとわかるうちに近くに住んで母親の見舞いもしたいし、父親に同居を申し出たわけ」
A子さんのライター業は月に数日、上京してホテル暮らしをすればなんとかなる。少し前に離婚して女手ひとつで育てたふたりの子供も独立して、実家で父親と暮らす条件がどんどん整っていった、ように感じていた。そんなある日、電話で話していた父親が、ふたりで住むには今の家は大きすぎるから、もっと便利な町の中心のマンションに引っ越さないかと提案してきた。
「『それにはママの美容院とか、パパの工具類とか、処分しなくちゃならないよ。それでもいいの?』と聞いたら、『死んで持っていけないものはみんな捨てる』って」