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女優・秋吉久美子が明かす、いまだ埋まらない亡き母への想い――「どうすれば母を“絶望”から救えたのか」≪独占インタビュー『母を語る』後編≫

たとえ母の夢を叶えても――

秋吉は53才で早稲田大学大学院へ進学(前列右から3人目が秋吉・本人提供)
写真4枚

まさ子さんはその後も秋吉に、「焼かれたら私の魂はどうなるの?」「死んでしまったら私はなくなるの?」などの質問を続けたという。

「私は母を安心させる答えを言ってあげられませんでした。こういった問いに対応できなかったことに、悔いが残りました」

死ぬのが怖いと言い続けたまさ子さんだが、最期はなんとか自分で答えを見つけた。

「母は“私は星になる”と言った1週間後、息を引き取りました」

東京での再入院から2か月後のことだ。葬儀は秋吉が喪主として仕切った。生前、自分の郷里である静岡で葬儀をしてほしいと言っていたまさ子さんの遺志を継ぎ、東京で諸々の手続き終えた後、遺体を静岡まで運んだ。遺影選びをはじめ、細部の打合せまで秋吉が取り仕切った葬儀は、母の11人きょうだいの孫、ひ孫ら100人以上が参列する盛大なものとなった。

それでも「これで葬(おく)れた」という達成感はなく、心に穴があいたような喪失感はぬぐえなかったという。

「母の死に真剣に向き合った結果、自分には学びが足りないと感じ、53才のときに大学院へ進学。福祉について学び、公共経営修士を取得しました。結果的に、母が望んでいた学びの場で勉強ができたわけですが、それでも、“これで母を葬れた”とは思えませんでした」