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「母は最期まで私が歌手になったことに反対していた」――歌手・小林幸子が思い起こす母の愛とは≪独占インタビュー『母を語る』後編≫

寂しさから繰り返した母への無言電話

デビュー直後、10才頃の小林。
写真4枚

デビュー曲の『ウソツキ鴎』は、レコード売り上げ約20万枚のヒットを記録した。その卓抜した歌唱力から「天才少女歌手誕生」などと評され、東京での暮らしは多忙を極めた。マネジャーをはじめ、多くの大人たちに囲まれた生活は刺激的だったという。両親もどちらかが1~2か月に1度は上京し、3日間ほど滞在してくれたが、夜、アパートにひとりきりになると、やはり寂しさが募った。

「私が借りていたアパートの部屋には電話が設置されていました。新潟の実家も商売用に早くから電話を引いていたので、夜、寂しくなると新潟の実家へ電話をかけたものです。実家の電話は必ず母が出ると知っていたので、ダイヤルを回して、『はい、小林精肉店です』という母の元気な声を聞いたらすぐに電話を切っていました。しゃべったら泣いてしまいそうだったからです」

数年後、小林はイツさんに、
「無言電話が何度かかかってきたでしょ、あれ、私なの」
と告白すると、イツさんは、
「そんなことわかっていたよ」
とにっこり。
「母はすべてお見通し。やっぱり叶わないなぁと痛感しましたね」

帰郷し、東京に帰る際もイツさんは必ず見送りしてくれた。
「列車のホームまで見送りに来てくれた母は、『早く乗りなさい』なんて促すんですよ。そんなことを言われたら寂しいじゃないですか。それで、『そんな冷たいいい方しなくてもいいじゃない』なんて、思っていたのですが、後日、母と一緒に見送ってくれた人から、『さっちゃんは知らないだろうけど、イツさんはいつも、列車が出発すると、それを追ってホームの端まで走っていって、最後はうずくまって泣いているんだよ』と聞いて――」

当時は新幹線がまだ開通しておらず、東京‐新潟間を夜行列車で7時間かかった。あまりに遠い場所にひとり暮らす娘を思い、寂しさを募らせたのは小林だけではなかったのだろう。

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